医龍という漫画は歪んだ天才を主人公とした作品として構成が最高すぎる

 皆は医龍という漫画を読んだことがあるだろうか?

 実写ドラマの方はかなり有名なので、名前だけは聞いたことがある方も多いとは思われるが、私は身の回りで原作の漫画を読んだことがある人を見かけたことはない。

 だが、私は人生を通して何度も読み返したくなる漫画として特に医龍を推しているので、致命的なネタバレを避ける形でこの作品の良さを綴りたい。
 致命的なネタバレとは、物語の核心と結末に関わるネタバレを指し、一部物語の進行について言及することは避けられないので注意すること。



 医龍は、大学付属病院において初の女性教授となる野望を秘める心臓外科医の加藤准教授が、心臓外手術として高難易度である「バチスタ手術」の論文の症例となる手術を成功させるため、過去にアフリカのNGO組織で出会った天才心臓外科医朝田ヘッドハンティングし、その朝田とリーダーとした「バチスタチーム」を結成して、「バチスタ手術」に挑む作品である。
 この作品の主なストーリーラインは、「大学病院の腐敗・改革(※フィクションです)」と「チームビルディング」だ。


 


 朝田は、過去に一度日本の大学付属病院においてその才能に嫉妬され政治的工作を受け、汚名を着せられた挙句日本の医療の世界から追い出され、その後にNGO組織に参画、アフリカで天才外科医として名を馳せた経歴がある。

 しかし、NGOでの活動を終了して日本に戻ってきたのはいいものの、政治的工作の影響で医者として就職ができず、そのまま医者への情熱を失いヒモになってしまっている。

 


 天才外科医であり、優れたリーダーの素質を持っていた彼は、加藤のヘッドハンティングを受け、加藤の論文症例のバチスタ手術のため、まずその手術を実行するためのチームを作り上げていくところから物語は始まるが、彼は組織に属する人間としては最悪であり、あまりにも強い患者の命至上主義によって、組織のルールを無視しまくり、極めて独善的に行動し、患者の治療に当たっていく。
 加藤自身が、腐敗した大学附属病院に改革をもたらすために行動しているのだが、その加藤すら無限にブチギレ続けるレベルの行動をし続け、彼は数々の患者の命を救っていくが、一方で不祥事の告発など朝田の独善的な行動によって医者を辞めざるを得ない者も少なからず発生し、組織内に過激な対立をもたらし、大学附属病院を政治的混乱に巻き込んでいく。

初っ端の手術で死亡判断を下した執刀医から患者を奪い手術を強行して早速加藤をブチギレさせている
朝田の不祥事の告発により、組織のスケープゴートにされた医者
あまりにも言葉が強すぎる

 ここでキーポイントになるのが、彼の犠牲となっていく医者たちは、多数の凡庸な医者であり、「組織に従順なだけで本質的には善良な医者」なのである。
 彼らは、この大学附属病院を治める、この物語の明確な敵ポジションである、野口現教授が構築した、組織の安定、存続を何よりも重要視する、保守的で、不祥事隠ぺい体質を持つ組織の部品に過ぎない。
 彼らは人の命を扱う医療従事者であるが、それと同時に、家族を養わなくてはいけなかったり、自身のキャリアや夢を捨てられなかったり、そんなありふれた弱い人間たちである。


 だが、そんな風に組織を破壊していく中、朝田が度々に口にする言葉が「理想のチーム」である。
 彼は患者を治療することは自分一人ではできないことを理解しており、技術・スタンス両方に優れたメンバーで構成された最高のチームでバチスタ手術に挑むために、少しずつ仲間を増やしていく。
 だが、彼は空気も読めなければ、患者の命に障る可能性があれば容赦なく実力のない医者を蹴落とすような人間。当然チーム内で対立も起こしまくりである。

 朝田の人格に惹かれた者たちもいるが、特に朝田をヘッドハンティングした加藤や、朝田が育成をしている研修医・伊集院との対立が強く、時には彼があまりにもルールを逸脱した行動をしたために、チーム全員のクビが飛びかけることすらあった。


 


 
 朝田はこの、一分一秒を争う手術中にチーム内に意見の衝突した時にも、彼にとっての「チーム」の話に言及している。


 
 


 
 彼は加藤に「あなたの言うチームとは何?」という問いに、「最後まで患者の命をあきらめないチーム」を挙げている。
 彼は物語を通して、とにかく「チーム」に対する強固な理想像を掲げ続けている。だが、その考え方は、究極的には自身の理想の医者像をチーム全員に強要している形となっている。

 もちろん、彼はどこまでも本気で、純粋で、患者の命を最優先に考えている理想の医者と言えるだろう。
 だが、リーダーとしてはどうか?

 もちろん、彼の提唱する「チーム」はあまりにも理想に近い。正しくもあるだろう。

 だが、現実問題、彼の所属した組織、および最初に結成したチームは彼にとっての理想の「医者」「チーム」から遥かに遠かったわけで、彼は患者の命を預かる身でありながら、現実と理想の折り合いをつけず、チームへの説明責任を十分に果たさず、手術の度に一分一秒を争う中、チーム間で頻繁に対立を起こし、そして更には組織に属する仲間ともいえる医者を辞職に追い込んだり、組織が立ち行かなくなるほどの政治的対立、混乱を招いている。結果論的に、ご都合主義、主人公補正ともいうべきか、やはりそこは漫画としてなんだかんだ上手くいくのだが......
 彼は「医者」としては正しても、「リーダー」としては本当に正しいのか? という疑問が発生する。

 物語内で明確に敵として描写される野口現教授は、自身の権力に固執した、隠ぺい体質の腐敗した組織の元凶として描かれるが、一方で、彼は大学附属病院を船に例え、「どんな船でも秩序を欠いて沈むよりはマシ」という論理を展開する。
 そう、朝田も野口も部分的に正しいのだ。「組織のルールを逸脱し独善的に患者の命を助ける自分勝手な医者」と「組織に圧政を強いて秩序をもたらし、常に組織が安定稼働するようにしている長」。どちらも極端であり、どちらも部分的に正しい。

 この感想は、現実の大規模な組織に属したことのある人間特有のものかもしれない。ただ、非常に朝田に反発する、物語上はどちらかというと悪役的な役割を持つ、保守的な組織人のキャラクターたちに共感してしまうこともあるのだ。朝田という人間は、組織においてあまりにも危険すぎると。


 例えば、一見リーダーとしてメンバーを導いているように見える朝田の問題として、コミュニケーションがある。管理職、マネジメント職における、部下とのコミュニケーションのアンチパターンとして、「問題志向型」がある。問題志向型とは、要するに相手の問題点を指摘するベースのコミュニケーションである。
 仮に、ミスをしてしまった部下がいるとする。その部下に、「その行動は間違いだ」「〇〇に相談すべきだった」のような、過去起きた問題や、現在抱えている問題を「指摘」するタイプのコミュニケーションである。これは一見、ビジネスや医療現場では正しいように見えるが、「チームビルディング」という観点では一般的には間違いとされる。


 


 これと相反する概念は「解決志向型」コミュニケーションであり、「〇〇するようにすればもっとよくなる」「次は〇〇さんに相談してからやってみよう」といった、「どうしたらもっとよくなるか」に着眼したコミュニケーションである。
 関係値が正しく築かれていない間では、問題を指摘するようなコミュニケーションは非常にネガティブなニュアンスになりやすく、そして「どうすべきか」が伝わらなくて、逆にミスを起こさないことに視点がいってしまい、委縮してしまうからである。
 もちろん、医療の世界では問題志向な考え方が適切なのだろう。人の命が関わっているのだから。

 ただ、チームビルディングにおける1:1のコミュニケーションでは悪手と言わざるを得ない。
 事実、物語の終盤に至るまで、彼の率いるバチスタチームは、結束の固い一枚岩のチームとはとてもではないが言える状態ではなかった。

 それでも、彼の天才的な外科医の技量と、潔白な医者としての理想的なスタンスが魅せるカリスマ性が、メンバーの意識を少しずつ改革し、多少の対立はあれど、少なくとも目の前の患者に真剣に向き合えるチームとして成長していく。

 ただし物語はこれだけでは終わらない。彼は、圧倒的カリスマとして君臨することでチームをまとめあげてきたが、それ以上でも以下でもなく、少しずつ彼のカリスマ性と外科医としての技術に依存した、朝田抜きでは決して成立しない、非常に脆いチームであることが少しずつ露呈していく。



 



 彼はそれを憂いて、意図的に「自身がこの病院を間もなく去ること」を仄めかしたり、「いきなりチームを抜けて政治的敵対勢力に肩入れする」ようになったりする。
 救いを求めて手を伸ばすひ弱な子供を突き放すがごとく所業である。



 


 
 朝田の目論見通り、チームはこのプロセスを経て、自立を果たし、メンバーが自身の問題や心の弱さと向き合い、技術だけではなく人格的にも成長していく。
 朝田のこういった「育成」の考え方である、「突き放して自立を促す」考え方は、序盤から一貫しており、特に彼が物語を通して育成し続けている研修医・伊集院は100万回くらい彼に崖に突き落とされてはよじ登ってきて、を繰り返したといっても過言ではない。

 

最序盤、救急搬送されてきた患者を研修医に丸投げする朝田


 これは全く美談ではない。伊集院が物語を通して成長できたから朝田は正しかった、という考え方は完全に生存バイアスであり、同じようなやり方が毎回通るとは到底思えない。
 確かに自立と当事者意識を育むには「信頼して任すこと」が大事だとは私も考えるが、それと突き放すことはイコールではない。

 彼はチームビルディングにしろ、後輩の育成にせよ、彼は常に最短経路で暴力的な手法で目的を達成している。

 そう、物語は全体を通して、朝田が提唱する「理想のチーム」が彼自身の手によって作られていくことが一つの物語の本筋でありながら、彼はあまりにも一人の人間として組織やチームメンバーに対して正しく向き合ってないと感じてしまう構成になっているのだ。


 この矛盾は、物語の終盤で改めて問われることになる。


 朝田があえて突き放すことで、メンバー一人一人が自立を果たしてチームとして完成し、朝田抜きで非常に高度な症例に立ち向かえるほどに成長したチームの執刀医として成長した加藤の元に朝田は現れ、「リーダーでもなければ、味方ですらないただ一人の外科医の俺はどうだった?」と加藤に問いかける。
 加藤は当然、患者の命を救うために極めて独善的に行動し、組織やチームに混乱を起こす男だと正直に回答する。もっとも、これは物語を通してずっと加藤が朝田に言い続けている苦言、お小言ではあるので、朝田も言われ慣れている......はずではあるのだが。


 


 



 この場では、彼はいつもと様子が少し違っており、まるで自身の医者としての立ち振る舞いが異常であることそのものが実はコンプレックスであったかのような態度を見せる。

 彼は、自身を客観的に捉えることが正しくできており、それでも尚物語を通してそのスタンスを崩さなかった。いや、崩せなかったとも言うべきか。

 朝田はそのあと、加藤が率いるチームを「最高のチーム」と称する。彼にとっての理想のチームが、自身が抜けたことで完成したという皮肉。

「お前たちは最高だよ」

「俺はその最高のチームのメンバーに選ばれる資格があるかな」


 


 最強の外科医でありながら、実は物語では恐るべき政治的工作の手腕すら見せつけ、何一つ欠点のない天才として描かれる彼が、最後に唯一といっていい欠点を認め、そのせいで自身は理想のチームのメンバーとしてふさわしくないと考えていることが発覚する。
 そう、彼は序盤から終盤に至るまで、ずっと「理想のチーム像」を掲げておきながら、自身は「理想のチームの一員」の資格足りえないと考えていたのだ。わかりみしかない。私も理想のゲーム開発チームを結成するとしたら、そのメンバーに自身はいない。


 

 



 差し迫った表情で加藤に迫る朝田。彼は物語で一貫して自由で余裕のある天才らしい振る舞いをしてきたが、ここで初めて他人に縋るような、自身に迷いがあるような表情を見せる。

 加藤は、思いもよらない朝田からの問いかけに困惑し、言葉に詰まるような様子を見せる。朝田を今まで執刀医として使ってきたのは、朝田の天才的な外科医の技量が目的であって、少なくとも成長を遂げた加藤の現在のチームは少なくとも直近では朝田がいなくても成立するチームではある。
 ともなれば......不穏分子たりえる朝田は......必ずしも必要な存在ではない、むしろ朝田視点からすれば、「執刀医としての技量」を抜きにしたとき、自身は単なる異常者ではあるわけで、拒絶されてもおかしくはないのだが。

「あるよ」

「人を治す、ただそれだけを、あなたが少しもブレずにやってきから、みんな道を迷わずここまで来たんだもの」

 
 



 朝田の「医者としてのスタンス」のおかげで、チームメンバーが医者として成長できたこと。朝田の外科医としての技術ではない部分が素晴らしいからこそ、チームのメンバーにふさわしいということ。
 
 それを、ずっと朝田の身勝手な行動に悩まされ、苦言を呈し続けてきた加藤の口から肯定される。



 構成がエモ過ぎんだろ......



 医龍という漫画において、「朝田という医者の在り方」に関するストーリーラインは、重要ではあるが、単なる一要素に過ぎない。
 
 医龍は25巻で完結した漫画ではあるが、メインキャラクターのほとんどが自身と向き合い、一人の人間として行動し、物語に複雑に関与してく、とてつもなく厚みがある目を見張るべき数多くの物語がその中に存在する。



 医龍を読もう。